REVISITED 2026

ロッテリア

ロッテリア

ロッテリアが終わると聞いたとき、最初に浮かんだのは看板でもメニューでもなかった。紀伊國屋の裏手から降りていく、あの地下への道筋である。90年代から2000年代、新宿へ出るたびに本を抱え、そのまま地下のロッテリアへ向かった。買ったばかりの本と一緒に階段を下りるところまでが、私にとっては読書の始まりだった。

地下には、やけに広いフロアが待っていた。都会の真ん中にいるはずなのに、そこでは時間が少しだけ歩調を緩める。本の匂いとポテトの香りが混ざり、紙袋から出したばかりの新刊がトレイの隣に収まる。この取り合わせに名前をつけるなら、秘密基地でよいと思う。基地にしてはずいぶん開かれているが、誰にも邪魔されずに過ごした午後は、たしかに自分だけのものだった。

思い返すほど愛おしいのは、本を開く前のわずかな間である。表紙を上にして机へ置き、栞を挟む場所もまだ決めないまま、まずフライドポテトに手を伸ばす。指先に塩気が残るので、紙ナプキンで念入りに拭いてからページをめくる。その小さな手順が、日常から読書へ入るための作法になっていた。ロッテリアの紙ナプキンは、食事のためだけでなく、本の世界へ渡る直前の手を整えてくれたのである。

ポテトの軽やかな塩気とほくほくした食感は、私の記憶の中で今も鮮明だ。そしてリブサンド。ポークパティとレタスを、サワー種を使った全粒粉入りのソフトフランスパンで挟み、スモーキーでスパイスの効いたBBQソースとハニーマスタードソースで味をまとめる。甘辛さと香ばしさをかみしめ、また本へ戻る。ポテトとリブサンドのセットは、青春の午後を落ち着いて支えてくれる、頼もしい布陣だった。

ロッテリアは1972年9月29日、日本橋と上野に最初の店を開いた。半世紀を超えて親しまれてきたその名は、2026年3月末をもって国内全店の閉店を迎え、その後は順次ゼッテリアへ転換される予定だという。長く見慣れた響きが記憶の側へ移ると知ると、胸の奥では地下のフロアがいっそう広くなる。

店名とは、不思議な容れ物だ。赤いロゴの置かれたトレイも、紙ナプキンの手触りも、買った本を初めて開いた瞬間も、ひとつの響きの中へきれいに収まっている。ロッテリアと聞くだけで、地下へ降りる足取りまで戻ってくる。記憶は味だけを保存するのではない。階段の向きや机の広さ、その日に本を抱えていた腕の感覚まで、ひそかに取っておく。

だから、もう一度リブサンドをかみしめながら、新しい本をめくりたいと思う。ポテトに伸ばした指を紙ナプキンで拭き、まだ癖のついていないページを開く。かつて何度も繰り返しただけの午後が、今ではかけがえのない贅沢に見える。ロッテリアという名を思うたび、あの地下ではこれからも、本を読む前の静かな儀式が続いていく。

ロッテリア

 

ロッテリア

 

ロッテリア

 

ロッテリア

 

ロッテリア

 

ロッテリア

ARCHIVE DATA

PLACE / EXPERIENCE

その他の事実メモ
リブサンド ポーク
単品 ¥540
セット ¥890
ポークパティとレタスを、サワー種を使用した全粒粉入りのソフトフランスパンにサンドし、スモーキーでスパイスの効いたBBQソースとハニーマスタードソースで味付けした人気商品。
(リブサンド ポーク|メニュー|ロッテリア)



「ロッテリア」全店が「ゼッテリア」に変わる…その決定的な違いと「ゼッテリア」が目指すもの
2026.02.17 マネー現代
ファストフードチェーン店「ロッテリア」が54年の歴史に幕を下ろす。
かつてロッテリアは、ハンバーガー業界で「マクドナルド」に次ぐ2位のポジションを確立し、アメリカンテイストを土台にしながら、日本人の嗜好に寄り添ったメニュー展開で存在感を示していた。
だが、その立ち位置はいま、大きく様変わりしている。
ロッテリアの国内店舗数は2025年12月末時点で106店にまで縮小。一方、現在は「すき家」などを展開するゼンショーホールディングスの傘下となっていたのだが、ゼンショーは2023年に後継ブランドとして新業態「ゼッテリア」を立ち上げ、すでに172店へと拡大している。ロッテリアは2026年3月末をもって国内全店を閉店し、以降は順次、ゼッテリアへと転換される予定だ。
(「ロッテリア」全店が「ゼッテリア」に変わる…その決定的な違いと「ゼッテリア」が目指すもの(A4studio) | マネー現代 | 講談社)



ホテルのシンボルとも言えるアールデコ様式の建物は、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計による。
この建物は日本初の美術館である東京都美術館を寄付したことで有名な九州の石炭商佐藤慶太郎氏が設立。
「佐藤新興生活館」として完成した。当初は財団法人日本生活協会の管理下に置かれ、
西洋の生活様式、マナー等を女性に啓蒙する施設として利用されておりましたが、
太平洋戦争中には帝国海軍に徴用、日本の敗戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)に接収されて陸軍婦人部隊の宿舎として用いられました。
ホテルとしての開業は1954年(昭和29年)1月20日。
GHQの接収解除を機に、山の上ホテル創業者 吉田俊男が同財団から建物を譲り受け、ホテルとしての営業を開始いたしました。
創業時、戦後復興間もない東京には、わずか4~5つのホテルがあるだけで、ホテルと言いましても普通一般の人々にはなじみの薄い、縁遠い存在である時代です。
(コンセプト | 山の上ホテル 御茶ノ水・神保町)




「山の上ホテル」、来夏ごろ新装開業 明大と竹中工務店が保存・活用
3/5(木) 13:30配信 朝日新聞
 明治大学と竹中工務店は3日、数多くの作家に愛されたことで知られる「山の上ホテル」(東京都千代田区神田駿河台1丁目)の建物について、改修して2027年夏ごろにホテルとして新たに開業すると発表した。歴史的、文化的に価値が高い建物を継承するため、創建時の設計を尊重しながら改修工事を進めるという。
 1937年に建てられた山の上ホテルは、米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)が設計を手がけた。戦後の54年からホテルとして開業し、川端康成や三島由紀夫、池波正太郎、松本清張ら著名な作家たちが定宿にした。老朽化などの対応のため2024年に休館後、隣接する明治大が建物を取得していた。現在、建物の名称は「明治大学創立150周年記念山の上記念館」とされている。
(「山の上ホテル」、来夏ごろ新装開業 明大と竹中工務店が保存・活用(朝日新聞) - Yahoo!ニュース)



明治大学と竹中工務店、「山の上ホテル」の保存・継承事業で契約締結。2027年夏の再開業を目指す
3/4(水) 18:32配信 美術手帖
 明治大学と竹中工務店が3月2日、明治大学が取得した歴史的建築物「山の上ホテル」の保存・継承に向け、期間約18年(改修工事期間を除く)の定期建物賃貸借契約を締結した。両者は同建物の改修と再生を進め、2027年夏頃のホテル再開業を目指す。
 山の上ホテルは1937年、明治大学校友の佐藤慶太郎の寄付により、社会事業施設「佐藤新興生活館」として建設された。設計を手がけたのは、日本に西洋建築の美学を紹介した建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。戦後の1954年からホテルとして営業を開始した。
 同ホテルは2024年2月に休館し、同年11月に明治大学が建物を取得。現在の建物名称は「明治大学創立150周年記念山の上記念館」とされている。
 再生後のホテルは宿泊施設としての機能に加え、明治大学の教育・社会連携拠点としても活用される予定だ。短期留学プログラムの宿泊施設として利用されるほか、大学が運営する生涯学習機関「リバティアカデミー」の講座やプログラムの会場としても活用し、地域連携や社会連携の活動の場としての役割も担う。
(明治大学と竹中工務店、「山の上ホテル」の保存・継承事業で契約締結。2027年夏の再開業を目指す(美術手帖) - Yahoo!ニュース)
update: 2026年3月1日2:32 pm