
御茶ノ水の坂をゆるやかに登っていくと、都会のざわめきが少しずつ遠のき、静かな気配をまとった建物が現れる。山の上ホテルである。創業70年、建物として86年。老朽化への対応のため、2024年2月13日からしばらく休館するという知らせは、東京の記憶の一部が、そっと灯を落とすように感じられた。
このホテルで妙に心を引かれるのは、35ある客室が、ひとつとして同じ形ではないことだ。ホテルの部屋といえば整然と並ぶ姿を思い浮かべるが、ここでは一枚ごとの扉が、それぞれ別の空間へ通じている。鍵を受け取ることが、まだ知らない一部屋との巡り合わせになる。泊まるという行為に、ささやかなくじ引きのような楽しさが宿るのである。
室内には、桜の木肌を生かした家具、手塗りの漆喰壁、ビロードのカーテンがある。坪庭を抱いたスイートルームもあれば、畳の部屋にベッドを置いた和洋折衷の部屋もある。同じ形にそろえられていないからこそ、それぞれの部屋に固有の間が生まれる。窓までの歩数や、家具の置かれ方、扉を開けた瞬間の眺めまで、その一室だけの記憶になっていく。
川端康成、三島由紀夫、池波正太郎らが定宿とし、原稿を書き、思索を重ねた場所でもある。作家たちがどの部屋で何を見つめていたのか。そこを勝手に埋める必要はない。ただ、形の異なる部屋が35室あると知れば、机に向かう時間にも部屋ごとの呼吸があったのだろうと想像したくなる。本の頁に似た空気とは、こういう余白から生まれるのかもしれない。
アールデコ様式の建物は、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計による。もとは九州の石炭商・佐藤慶太郎が設立した「佐藤新興生活館」で、西洋の生活様式やマナーを女性に紹介する施設として使われていた。その後、海軍に徴用され、敗戦後にはGHQの宿舎となる。いくつもの役目を引き受けた建物は、1954年、吉田俊男によってホテルへと生まれ変わった。
その頃、東京のホテルはまだ数えるほどで、一般の人々には遠い存在だったという。それでも山の上ホテルは、坂の上で歳月を重ねてきた。瀟洒な佇まいも、さりげなく行き届いたもてなしも、この建物がくぐってきた時間と切り離せない。歴史を声高に語るのではなく、壁や家具や階段のあいだに静かに置いておく。その慎ましさもまた、この場所らしい。
休館を前に思い出したくなるのは、華やかな場面ばかりではない。坂を上り、階段を進み、ロビーへ入り、いつもより時間がゆっくり流れはじめる、そのわずかな変化である。そして客室の扉の向こうには、同じ形がひとつもない。山の上ホテルは、訪れる人を一様に迎えるのではなく、そのたびに異なる一室を用意してきた。東京には、急がずに扉を開けたくなる場所がある。そのことを、このホテルの35室は静かに教えてくれる。



















