
ライブハウスへ向かう日は、入口に着く前から少しだけ身構えてしまう。常連ばかりだったらどうしよう。自分だけ場違いに見えないだろうか。そんな小さな不安を連れたまま、2026年6月7日、吉祥寺ROCK JOINT GBへ向かった。
会場には二百人近くが集まっていたように思う。自分にとっては、これが人生初の本格的なスタンディングライブだった。開演前は立つ位置ひとつにも落ち着かず、周囲の様子を妙に細かく気にしていた。しかしステージが近い。その事実を飲み込んだ途端、余計な心配は少しずつ輪郭を失っていった。
広石武彦との距離は驚くほど近かった。もちろん、こちらだけを見ているわけではない。それでも視線がこちらへ伸びてきたように感じる瞬間がある。睨まれたのではないかと錯覚するほどの近さだ。その一瞬だけで、ライブハウスの距離感とはメートルで測るものではないのだと思わされた。
演奏が始まると、Respect up beatがこの日に用意した曲の流れに、ただ運ばれていくことになった。次の曲が始まるたびに、この曲もあるのか、さらにあの曲まで来るのかと驚きが重なる。歌も振りも格好よく、一曲ごとの輪郭が目の前で鮮やかに立ち上がってくる。長く親しんできた曲が並んでいるのに、知っているものを確認する夜ではなかった。音源の中にいた曲が、近いステージから直接こちらへ飛んでくる夜だった。
up-beatは学生時代によく聴いていた。ただ、当時の自分にはライブへ行くという文化がなかった。好きな音楽はCDで聴くものだったのである。そのため、胸のどこかには、一度でもステージを観ておけばよかったという小さな後悔が残っていた。消えずにいたというより、普段は見えない棚の奥に置かれていた、と言ったほうが近い。
その棚を、この夜の「NO SIDE ACTION」がまっすぐ開けた。人生で初めて買ったシングルCDの曲である。学生時代にはCDとして手にしていた音が、今は目の前で人の動きとともに鳴っている。過去を懐かしむだけではなく、昔の自分が知らなかった続きを現在の自分が受け取っているようだった。
「KISS…いきなり天国」や「TEARS OF RAINBOW」も、この夜の記憶に深く残った。曲名を知っていることと、演奏される瞬間に立ち会うことの間には、思った以上に広い場所がある。その場所を埋めるのは、音の近さであり、広石武彦の歌と振りであり、曲が始まった瞬間に客席へ生まれる空気だった。
そして自分は、何度もスマートフォンを出しかけた。動画撮影が許されていたからだ。当初は「KISS…いきなり天国」「NO SIDE ACTION」「TEARS OF RAINBOW」だけを残すつもりだった。ところが曲が始まるたび、これも撮っておきたいという気持ちが指先までやって来る。画面を向ければ記録は残る。向けなければ、その間ずっと自分の目でステージを見ていられる。
この迷いは、ほんの数秒ずつ何度も訪れた。スマートフォンを構えるか、構えないか。ライブの最中にしては妙に細かな問題だが、その数秒には、この夜をどう持ち帰るかという大仕事が詰まっていた。結局、何度も我慢した。少しだけ記録し、残りは目と耳に預けることにしたのである。
映像にならなかった時間は、何も残らなかった時間ではない。むしろ広石武彦の視線に一瞬ひるんだことや、次々と現れる曲にスマートフォンの存在を忘れたことまで含めて、自分の中に収まった。撮らなかった数分間にも、きちんと形があった。
ライブハウスを出る頃には、学生時代から残っていた後悔は溶けていた。代わりに残ったのは、次のライブを待つ楽しみだった。入る前にはあれほど気にしていた場違いという言葉も、もうどこかへ消えている。Respect up beatの音が鳴った場所に自分も立っていた。その事実だけで、この夜は十分に自分のものになっていた。






