
野宮真貴のデビュー45周年前夜祭。長いあいだ一度は行ってみたいと思いながら、なぜか機会を逃し続けてきたライブである。今回はゲストに小泉今日子が登場すると知り、慌てて情報を探した。ところが、気づいたときには満席。東京の夜は、こちらの都合に合わせて席を取っておいてはくれない。
それでも諦めきれず、何度かチケット画面を覗いた。すると、あるとき空席がふっと現れた。満席だった画面に席が一つ生まれる。その小さな変化が、この夜の最初の演出だったように思う。歌を聴くより前から、すでに少し運を使っている。
一年ぶりに足を踏み入れたBillboard Live TOKYOには、グラスの光とステージの照明が同じ夜の中に収まる独特の空気があった。この日の公演名は「女は女である。」。野宮真貴のバースデーも祝う、デビュー45周年の前夜祭だ。大野由美子、吉村由加、田渕ひさ子、武田理沙による女性だけのバンドが、その言葉を飾りではなく、ステージの姿として見せていた。
「私の全て」から始まった時間は、「20th Century Girl」「Sunday Girl」へと続いていく。前夜祭という言葉には、まだ本番の手前という響きもある。しかし、ここで差し出されたのは遠慮のない一夜分の音楽だった。野宮が歌い始めると、ピチカート・ファイヴの時代に親しんだ都会的で少し気取った香りが蘇り、それがいまの声と同じ場所で鳴る。過去が展示されるのではなく、現在のステージへきれいに席を移していた。
やがて小泉今日子が現れる。舞台に立った瞬間、客席の意識がすっと一点へ集まるのがわかった。そして「なんてったってアイドル」が始まる。曲名そのものに眩しさがあり、野宮真貴と小泉今日子が同じステージにいる光景には、説明より先に納得させる力があった。二人を迎えた女性だけのバンドも含め、この日の「女は女である。」という題が、音と姿を伴って立ち上がる場面だった。
ステージ背後のカーテンが開くと、窓の向こうに東京の夜景が広がった。カーテンというものは、閉じているあいだは背景にすぎない。それが左右へ動いた途端、窓の外の灯りまで公演に参加し始める。あの数秒によって、会場の外にあったはずの東京が、急にステージの奥行きになった。
そこで歌われる「東京は夜の7時」。実際の時刻はもう少し進んでいたが、曲が始まれば時計の側が折れる。窓の外の街の灯りも車の流れも、歌に合わせて用意されたわけではない。それでも、すべてがこの曲のために動いているように見えてくる。「東京は夜の7時」とは時刻の報告ではなく、東京の夜をその時間へ連れていく合図なのだと思った。現実の街を背負いながら、現実を少しだけ映画の一場面へ近づける歌だった。
アンコールでは小泉今日子と「潮騒のメモリー」が歌われ、さらに「三月生まれ」、そして「陽の当たる大通り」へと進んだ。三月に開かれた前夜祭とバースデー・ライブに「三月生まれ」が置かれる。その題名の収まり方には、贈り物のリボンを最後に結ぶような楽しさがある。満席の表示から始まった夜は、十三曲分の道のりを通って、明るい大通りへ着地した。
帰り道の東京は、来たときと同じ街のはずだった。それでも、窓の向こうで舞台装置になった灯りを一度見てしまうと、街の見え方には歌が混ざる。どこかでまだ「東京は夜の7時」が鳴り、別の角では「陽の当たる大通り」が待っているような気がした。偶然現れた一席は、最後には東京の夜を少し広く見せる席になっていた。



