
万博の記憶を振り返るとき、頭の中に最初に浮かぶのは、どの国のパビリオンでも、どの出会いでもなく、あの巨大な輪――大屋根リングである。

夢洲の真ん中に浮かぶように架けられたその構造物は、まるで未来都市の守護神のように、六か月にわたるこの祝祭を静かに見守っていた。

私の万博の締めくくりは、このリングを一周することだった。夕暮れが海面を染めるころ、歩みながら何度も振り返った。写真では伝わらない。映像でも足りない。あの圧倒的なスケール感と、空気を震わせるほどの存在感は、まさに「体験する建築」だった。光と風が走り抜け、鉄骨の影が地面に模様を描く。あの下に立つだけで、自分もひとつの物語の登場人物になったような気がした。

真夏の頃、私は興奮のあまり熱中症気味になったことがある。そのとき救ってくれたのもこの大屋根リングだった。木の香りが混じる日陰の下に身を横たえると、不思議と力が戻ってきた。
まるで森の中で休むような涼しさが、鉄と木で編まれた巨大な円環の下に宿っていたのだ。もし大屋根リングがなかったら、あの猛暑を乗り切れた来場者はどれほどいただろうか。

開幕前、私はどこかで思っていた。1970年の太陽の塔のインパクトには敵わないだろう、と。だが違った。あのリングは、太陽の塔のように「空に突き刺す象徴」ではなく、「すべてを包み込む記憶」だった。人々の歓声も、汗も、風も、光も、すべてがあの円の下でひとつに結ばれていた。

そして閉幕の日、私はふと立ち止まって思った。これを全部残すのは現実的ではないだろう。しかし、構造が消えても、その「輪」は確かに心に残る。人と人をつなぎ、時代と時代をつなぐ――あの大屋根リングは、未来へ続く見えない環として、今も静かに私たちの頭上にかかっている。
