• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 ㉑ルクセンブルク

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夢洲という土地には、奇妙な磁場がある。暑さと潮風と人工島特有の迷路のような動線が、来訪者の時間感覚をねじ曲げ、記憶と期待をとろりと溶かしてしまう。そんな不思議な大地の一角に、私はかねてより心に秘めていた憧れの場所――ルクセンブルク館を見つけた。

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それは「行くなら今日しかない」と思わせるような鋭い直感の導きであった。入り口の表示は無慈悲にも「待ち時間80分」と告げていたが、私は既に腹を括っていた。夢洲では、時は流れるものではなく、溜まっていくものだ。ならばその80分を、私の中に積み重ねてやろうではないかと。

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しかし、運命とは気まぐれである。行列は突如として動き出し、わずか50分で私は扉の向こう側へと吸い込まれていった。さすがはルクセンブルク、時間すらも上品に縮めてしまうのかもしれない。

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内部は想像以上に幻想的だった。いくつものカラフルな部屋が螺旋のように配置され、訪問者をぐるぐると巻き込む。赤い部屋、紫の部屋、緑の部屋、それぞれ独自の色彩で語られていた。それらは単なる展示ではなく、国そのものが私たちを部屋ごとにそっと紹介しているかのようであった。

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だが、すべてを統べる存在が中央にいた。巨大な球体である。宙に浮かぶその球体は、ただの情報装置などではなかった。

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それはまるでルクセンブルクという国の記憶と未来と意志を一つに凝縮した、神秘的な知性の核のようだった。言葉も理屈も介在しないまま、球体は私たちに語りかける。「この国は静かに熱く、慎ましくも自由である」と。

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そして、最後の部屋にて私は心を奪われた。床一面に張られたネット。その上に寝転がると、世界はさかさまになり、重力がふわりと失われる。

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空に開いたスクリーンに映し出される映像は、まるで夢の断片。森のざわめき、街の鼓動、人々の暮らしが淡く混ざり合い、私はひととき“浮遊するルクセンブルク”の中をたゆたった。ネットの上で天井を仰ぎながら、私は思った。「このまま目を閉じれば、ルクセンブルクの市民として目を覚ますのではあるまいか」と。

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それは、ただの外国紹介ではなかった。旅でも観光でもない。むしろ、現代という世界の端にひっそりと存在する“まっとうな理想郷”を、そっと心にすべり込ませるような体験であった。夢洲に来てよかったと、心からそう思えた時間だった。

投稿日:2025年7月17日

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