• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 ㉗日本館

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午後七時半、薄闇が万博の空にゆっくりと降りてきたころ、私は日本館の前に佇んでいた。行くべきか、行かざるべきか。それは単なる一館への入場というより、自分が何者であるのかを確かめる儀式のようでもあった。「日本人なら日本館へ行くべし」──誰に言われたわけでもないのに、そんな呪文めいた言葉が胸に浮かぶ。

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先着順。しかも時間が迫っている。焦る心を抑えながら、静かに列の末尾へ身を沈めた。思えば45分など、人生の中では一瞬に過ぎない。けれどもこの45分には意味がある。ただの待機時間ではない。日本という鏡を見に行くための、心の準備運動なのだ。

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ようやく足を踏み入れた日本館は、予想を遥かに超える広さで私を包み込んだ。天井が高く、どこか厳かで、けれど無機質でもあり、そして不思議に落ち着かない。展示は洗練されていた。火星の石に触れたとき、宇宙の遠い息吹が指先から伝わってくるような気もした。けれど、なぜだろう。心の中の“日本”がそっと首を傾げた。

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畳の香りも、障子越しの光も、鈴虫の声もない。かといってそれを求めるのは、懐古趣味に過ぎないのか。未来の日本とは何か。見えたようで見えない。感じたようで掴めない。時間が押している。見学者たちは誰もが忙しげに歩を進め、会話も少なく、まるで無言の劇に参加しているかのようだった。

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それでも、私はそこに立っていた。火星の石を撫で、日本の名前のもとに構築された空間を見つめていた。そして、胸の奥にそっと仕舞い込んだ。「私はあのとき、日本館に行ったのだ」と。満足したのか? と聞かれれば答えは曖昧だ。だが、「行った」という一点が、後になってじわじわと意味を持ちはじめる気がする。
万博という万華鏡のなかで、自分の国をひととき見つめ直した夜。その静かな確かさだけが、今も心に残っている。

投稿日:2025年7月28日

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