• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 ⑳NTT Pavilion

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夢洲の空に、奇妙な静けさが降りていた。
NTTパビリオンの建物は、白昼の太陽を跳ね返すように鈍く光り、見る者をじわりと呑み込む磁力を放っていた。そこへ足を踏み入れると、私はもう「こちら側」の人間ではなくなった。

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事前の抽選で落選をしたが、当日の運をすべて使ってしまったと覚悟した当日登録によって参戦する。

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モールス信号が空間を跳ね、黒電話のベルが幻のように鳴る。
ひとつひとつの展示が、単なる展示ではなく、言葉の記憶であり、人と人が通じ合ってきた証そのものだった。
NTTが担ってきたのは回線ではない。無数の心の接点だった。
技術という言葉では片付けられない、目に見えない対話の重みが、ひそやかにそこにはあった。

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一方で、現実も忘れてはいなかった。
その日はどうやら大きな人が視察に訪れていたようで、スタッフたちの緊張が空気をひりつかせていた。
ある一角の座席は静かにロープが張られ、整然とした案内の声がこだましていた。
だがその様子は、不思議と冷ややかではなかった。
まるで電電公社の面影が、そっと立ち上ってくるような、懐かしい厳粛さをまとっていたのだ。

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3Dメガネを手渡された瞬間に、現実という名の幕がすっと引かれた。
暗いホール。目の前に現れたのは、虚構と現実の狭間に立つような、パフュームの舞台だった。かつて1970年の大阪万博が描いた夢と、現代のテクノロジーがひとつの舞台で共鳴している。

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そして音が鳴った。光が跳ねた。
パフュームの声が幾重にも折り重なり、まるで空間そのものが歌っているようだった。私は思った。「これは“伝話”なのか?」と。

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思えば私は、あの「伝話」を体験したつもりでいた。
あれは本当に“体験”だったのか?それとも、ただ“夢を見せられた”のか?

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私は伝話をまだ体験していなかった。
この夢洲の空の下、私の中でまだ終わっていない。
パフュームのあの微笑みも、あの空間のざわめきも、すべてが続いているのだ。
もう一度。そう、もう一度行かねばならない。夢洲へ。NTTパビリオンへ。そして、伝話の中へ。

投稿日:2025年7月16日

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