
先着入場制のパビリオンには、万博ならではの奇妙な緊張感が漂っている。人が多く集まりすぎれば、すぐさま“規制”という名の門が閉ざされる。
しかも、そこは大動脈たる通路の上、立ち止まることすら許されぬ風のような場所だ。
つまり、次に扉が開くまで、我々は通路の“外側”で待たねばならない。これはもはや試練である。
ベンチは命綱である。パビリオンの入り口が見える位置のベンチを確保し、背後から誰かに押し出されぬよう身構える。
そしてただ、無為のようでいて高度な集中力を要する“待機”を続ける。
目を凝らし、係員の動き、列のざわめき、扉の影の微妙な変化を見逃さない。まさに都市の狩人。
時間はあって無いようなもの。扉がふたたび開くまでの猶予は、もしかすると15分も無かったのではないか。
ひとたび動きがあれば、ベンチの民たちは一斉に立ち上がり、列へと流れ込む。
そこには言葉もなければ秩序もない。ただ沈黙のうちに理解された“走らぬ全力”がある。
ドイツの未来の問いに始まり、英国の遊び心、スイスの深呼吸。
それぞれの館がくれたのは展示以上の時間だったが、実は入る前のこの“列を待つ”儀式こそが、私の中の万博体験をいっそう濃くしたのかもしれない。
夢洲では、パビリオンの扉さえもひとつのドラマである。
※ドイツ、英国、スイスで体験