• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記⑧ ドイツパビリオン

ドイツパビリオン

2005年、愛知の丘陵に忽然と現れたドイツパビリオン。そこにあったのは、ただの展示空間ではなかった。ひとつの思想、あるいは未来そのものだった。
あれから20年。舞台を夢洲へと移し、ドイツは再び我々の前に立った。そして、やはり今回も抜かりはない。誰よりも静かに、誰よりも真剣に、未来と向き合っている。

ドイツパビリオン

今回のパビリオンを導くのは、「サーキュラー」と名付けられた、ふわふわとした愛らしいマスコット。入場者一人一人がこの小さな存在を手にし、ともに旅をする。単なる案内役ではない。共に考え、共に感じる存在なのだ。未来への扉をくぐるには、こういう相棒が必要だと教えてくれる。

ドイツパビリオン

訪れた当日は入場規制がかかっていた。しかし、大屋根リングの下で風に吹かれながらベンチに座っていると、不思議とあせりは感じなかった。夢洲の空の下では、時もまた柔らかく流れる。
しばらくすると列が動き出し、いつの間にか中へ。約30分の待ち時間は、記憶の中では数分にしか感じなかった。

ドイツパビリオン

 

ドイツパビリオン

 

ドイツパビリオン

 

ドイツパビリオン

館内に入ると、足元にはクッションのようなソファー。訪れた人々が皆、思い思いに身体を投げ出している。躊躇うことなく自分もそこへ。
天井からは優しい光、壁には波のような映像。問いが投げかけられる──「どうやって未来を育てますか?」

ドイツパビリオン

だが、その問いに答えようとする脳は、あまりの心地よさに沈黙してしまう。考えるよりも先に、感じることを求められている気がした。
無数の「サーキュラー」が泳ぎ回る幻想的な映像に包まれ、気がつけば心はどこか遠い場所へ。

ドイツパビリオン

目を閉じれば、パビリオン全体が一つの巨大な繭のように思えてくる。未来とは、計算や計画ではなく、こうして身体で感じるものなのかもしれない。私たちはただ、静かに、まるく、やさしく包まれていた。

ドイツパビリオン

 

ドイツパビリオン

そうして私は気づく。ドイツパビリオンは“展示”ではない。“体験”であり、“回復”であり、“未来そのもの”であったのだと。入った時よりも少しだけ優しくなった自分が、夢洲の光の中へ戻っていった。

投稿日:2025年7月2日

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