
角松敏生の名を目印に夜の東京を進み、辿り着いたのはBillboard Live TOKYOだった。都会の気配を一枚隔てたような空間には、自然と背筋が伸びる静けさと、音楽へ身を預けるための柔らかな闇が同居していた。
2022年11月3日、この夜の公演名は「TOSHIKI KADOMATSU Performance 2022 角松敏生“Kadomatsu Plays The Guitar vol.5”」。飾り気のない題だが、「Plays The Guitar」という言葉は妙に強い。歌う、聴かせる、魅せる、といった大きな動詞を掲げず、ただギターを弾く。その簡潔さが、かえって角松敏生の意志をくっきり浮かび上がらせていた。
本人は、長いツアーを走り抜けた末のご褒美のような公演だと語った。その「ご褒美」という一語が、この日の輪郭をよく表している。ご褒美は本来、受け取った本人が喜ぶものだ。ところが角松敏生が満足そうに音を鳴らしている姿を見ていると、その喜びが客席にまで小分けにされて届く。観客は祝宴へ招かれたというより、音楽家が自分のために用意した時間へ、そっと同席させてもらっているようだった。
「Scratch~GET BACK」から始まり、「SOEMONCHO STREET」「HIGH GEAR」へと曲が続く。耳に馴染んだ曲を確かめる夜ではなく、その日に角松敏生が選び、並べた音へ一曲ずつ入っていく夜だった。知らない道を歩くとき、目印が少ないぶん景色をよく見るようになる。曲名を追いかけるより先に、ギターを弾く姿と、そこから生まれる一音へ意識が向いた。
ギターの音は端正で、まっすぐだった。余計な身振りで輪郭を大きく見せるのではなく、一音を一音として置いていく。その隙間には、角松敏生が積み重ねてきた時間が静かににじむ。Billboard Live TOKYOのコンパクトな客席は、その細部を遠くへ逃がさない。演奏者と聴き手のあいだにある空気まで、音の一部として受け止めているようだった。

「Beyond The Sea」から「MIDTOWN」へ進み、さらに「流氷」「SUMA」と題名の異なる景色が並ぶ。海、街、氷、土地の名。文字だけを拾っても、セットリストの上には小さな旅程表のようなものができている。だが実際に客席で辿ったのは地図ではない。角松敏生がいま鳴らしたい音によってつながれた、その日限りの道筋だった。
本編の終盤に置かれた「MIDSUMMER DRIVIN’」を経て、アンコールは「OSHI-TAO-SHITAI」。最後まで、この公演は選ばれた曲を順番に披露するだけの場には見えなかった。演奏したい音を演奏する。その潔い出発点が一夜を貫き、曲の並びそのものをひとつの完成した出来事にしていた。
会場には徹底した感染対策が施され、客席にはその時代ならではの緊張感もあった。それでも音楽は止まらず、ギターの響きは客席まで確かに届いた。制約の記憶と演奏の記憶は切り離されることなく、同じ夜のなかに収まっている。
終演後に残ったのは、知っている曲の数ではなく、角松敏生が心から音を鳴らす時間に立ち会ったという実感だった。「Plays The Guitar」という簡素な言葉は、最後にはずいぶん豊かな意味を持っていた。ただギターを弾く。その「ただ」のなかに、音楽家の現在と、客席へ手渡される満足が丸ごと入っていた。