
長らく心の隅に引っかかっていた名前、出口雅之。そのライブへ、ようやく足を運ぶ日が来た。扉の先に広がっていたのは、五十人か六十人ほどで満ちる小さな空間だ。人の気配に包まれながら、どこか静謐でもある。秘密の会合にそっと紛れ込んだような心持ちで、整然と並ぶ椅子に腰を下ろした。
開演を待つ椅子というものは、なかなか味わい深い。まだ何も鳴っていないのに、その夜の音楽を受け止める場所だけは先に用意されている。立ちっぱなしを覚悟していた体から力が抜け、音へ向かう気持ちがゆっくり整っていく。出口雅之の歌を聴くための時間は、座った瞬間からすでに始まっていた。
お経を思わせるSEを経て現れた出口は、どこか僧侶のような風貌だった。飾り気のない衣装も含め、余分なものを身につけず、そのまま舞台へ出てきたように見える。ライブの入口にお経風の音があり、その先にこの姿がある。偶然にしては出来すぎた取り合わせで、会場全体が一時だけ小さな堂のように思えてくる。
そして「BLACK SEA」で声が響いた瞬間、意識はまっすぐ舞台へ引き寄せられた。澄んだ声が、小さな空間の隅々まで届いていく。続く「影」を聴きながら、出口の歌には、時間を声の内側へ静かにしまっておける場所があるのだと思った。懐かしさだけに寄りかからず、今ここで鳴る歌として耳に入ってくる。
一人で紡いでいく進行には、音楽と出口本人の距離がほとんどない。場の空気がふっと緩む瞬間さえ、そのまま次の曲へ連れていかれる。きれいに包装して手渡すのではなく、曲を曲のまま差し出していく。その率直さが、この日の舞台によく似合っていた。
「白い旋律」では、記憶の底に沈んでいた風景がゆっくり浮かび上がった。昔の空気と、その頃に曲を聴いていた自分が、現在の椅子まで遅れてやって来る。続いて置かれた「どうしようもなく」、そして「瓦礫の詩人」へと進むうち、過去を振り返っているだけではなく、記憶そのものが今日の日付へ更新されていくようだった。
二部の中で「DEAD END STREET」や「BREAK DOWN」が鳴り、ライブはさらに先へ進む。曲名や名義の違いを越えて、出口雅之の声が一本の道をつくっている。その道をたどっていると、長く心に引っかかっていた名前が、ようやく目の前の人物と結びついていく。名前を知っていることと、同じ空間で声を受け取ることの間には、思いのほか広い距離があったのだ。
アンコールの最後は、Gentleman take Polaroidの「名もなき風」だった。名もなき風という言葉は、この夜の余韻によくなじむ。目には見えず、形にも残しにくい。それでも確かに触れていき、帰る頃には心の置き場所を少し変えている。ライブで受け取るものは、案外そういうものなのかもしれない。
華やかな仕掛けではなく、出口雅之と、その日に選ばれた曲と、声を受け止める椅子がある。その簡潔な組み合わせが、BAYSISの小さな空間に濃い時間をつくっていた。長く引っかかっていた名前は、今度は戻ってくる場所の名前になった。またここで、この声の続きを聴きたい。帰り際に残ったのは、そんな静かな気持ちだった。