• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 (60)null²

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万博という場所には、ある種の「物語の入口」が潜んでいる。
それは誰もが探し当てられるわけではない。行列の長さや、予約の抽選、運の巡り合わせが、まるで神話の試練のように来場者を選別していく。

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そのなかで、私にとって最後の「扉」となったのが——null²だった。

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イタリア館、アメリカ館と並ぶ人気を誇るこのパビリオンは、まさに万博の象徴のひとつである。事前予約は連戦連敗。画面に「落選」という二文字が表示されるたび、胸の奥で未来が遠のくような気がした。
だが最終日、奇跡のように当日登録が取れた。もはや祈りに近い執念だった。「インスタレーションモード」という言葉が表示された瞬間、私は運命の門を開いたのだ。

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建物に足を踏み入れた途端、世界は一変した。
蠢く光、呼吸するように形を変える構造体。
壁面を流れる無数のデータの粒が、まるで銀河のようにきらめいていた。

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「人工生命が自律生成する」という説明を聞いたが、理解よりも先に心が飲み込まれていく。
生命と機械、思考と本能、創造と破壊の境界が曖昧になる。
その空間に立つ自分さえ、もはや人間なのか、プログラムなのか、わからなくなってくる。

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意味を求めようとすると逃げていく。
だが、逃げるその姿がまた美しい。
そう——null²とは、意味よりも「存在の詩」であった。

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「かっこいい」「美しい」「未来っぽい」という、単純にして純粋な感情が胸を満たす。
頭で考えるよりも、魂が震える。私は、未来という名の夢に触れていた。

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クラウドファンディングで、このnull²の「かけら」を手に入れられるという。
つまり、自宅にこの未来を一部持ち帰ることができるのだ。
思えば万博とは、こうして未来の種を持ち帰る儀式のような場所なのかもしれない。

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null²は、夢洲の片隅で終わったのではない。
私の部屋の中でも、静かに脈打ち続けるだろう。
——未来は終わらない。
むしろ、いま始まったばかりなのだ。

投稿日:2025年11月2日

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