• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 (54)イタリアパビリオン

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イタリアパビリオン――その名を聞いただけで胸の奥がざわめいた。待てば入れる、というだけでありがたい場所。覚悟を決めた。もういくらでも待とう、と。

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しかし、気づけば6時間。太陽はゆっくりと西に傾き、並び始めた15時半の自分が、まるで別の時代の人間のように思えた。けれども、この果てしない行列の時間は不思議と苦ではなかった。群衆のざわめき、風に揺れる旗、遠くで響く笑い声――それらが一体となって、一つの儀式のように感じられたのだ。

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やがて思う。アトラスは天空を支える罰を受けているというが、我々は万博の入場列を支えているのだ。ならば、これもまた人間的な試練である。アトラスに比べれば、6時間など塵ほどの重みしかない。

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そしてついに扉が開く。建物の中にある「コロッセオ」は現実と幻の境界があやふやになるほどの迫力である。

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巨大なシアターでは光と影が交錯し、古代の息吹が今に蘇る。やがて、そのスクリーンが音もなく割れるように開く瞬間――まるで時空の壁が崩れ、芸術の国そのものが目の前に姿を現すかのようだった。

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そこに立ち並ぶのは、イタリアという名の魔法が生み出した数々の作品たち。「ファルネーゼのアトラス」は天を支え、「キリストの埋葬」「キリストの復活」は人の魂を支える。絵も彫刻も、言葉を超えた何かがある。芸術にうとい自分でさえ、思わず立ち尽くし、胸の奥で小さな鐘が鳴るのを感じた。

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実を言えば、最初はさほど期待していなかった。けれど、「すごいらしい」と聞けば、信じて並ぶのが人情というものだ。そしてその選択は間違っていなかった。待つ時間が、むしろ儀式のように思えてくる。周囲の人々と同じ時間を共有し、少しずつ入口へと近づく。気づけばその長い待機時間までもが、イタリアという体験の一部になっていたのだ。

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イタリア館は、芸術という言葉を知らない者にさえ、魂で理解させる不思議な力を持っていた。あのシアターが開く瞬間、確かに世界が少し広がった気がした。

投稿日:2025年10月25日

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