
万博の目玉は何か、と問われれば、多くの人は大屋根リングや空飛ぶクルマを思い浮かべるに違いない。だが、会場を歩いてみると、もうひとつ光を放つ存在に出会うことになる。それが「二億円トイレ」である。
名前からしてどこか滑稽で、聞くだけで眉をひそめる人も少なくなかった。だが、ひとたび話題に火がつくと、人々は逆に引き寄せられる。「あの二億円の正体を見に行かねばならぬ」と。

渋谷の街角で安藤忠雄や隈研吾、マーク・ニューソンらが手がけた芸術的なトイレ群が注目を集めたのは記憶に新しい。あれは都市の風景に仕込まれた美術館のようで、見る者の心をざわめかせた。

同じように、この万博のトイレもまた、単なる用を足すための装置ではない。外観そのものが一つの「展示」であり、「未来の公共空間はここまで変わりうるのか」と観る者に問いかけてくるのだ。

足を踏み入れると、まるでパビリオンに入場したかのような錯覚に陥る。天井の光、壁の質感、ひとつひとつの細部が、用を足す場所という先入観を軽々と飛び越え、ひとつの体験へと変貌している。冷やかし半分で訪れた者も、しばし呆然とその「演出」に包まれる。

二億円という響きは、否応なしに人々の好奇心を刺激する。莫大な費用をトイレに投じるとは何事か、と怒る人もいれば、それほどの価値を一度は確かめてみたいと心を躍らせる者もいる。どちらの立場であれ、気づけば夢洲の地に立ち、入口の前で足を止めているのだ。

万博とは、未来の片鱗を覗き見る場である。空飛ぶクルマが空を舞い、鏡のパビリオンが脈打つように変形する中で、トイレすらも「展示」と化す。
人間の営みの最も日常的な場が、ここでは祝祭の只中に引き上げられる。二億円トイレとは、未来都市の荘厳な断面図そのものである。訪れる者はみな、用を足す以上の何かを、この小さな建築の中に見つけてしまうのだ。