
夢洲の熱気の中、この日ただ一度だけ列に並んだのはスイス・パビリオンだった。
館の前には一時規制がかかり、しばし近くのベンチに腰を下ろす。海風がかすかに吹き抜け、待つこと五分、扉が再び開かれる。そこから五十分、じわじわと列が進む時間さえも、なぜか遠いアルプスの山道を登るような不思議な高揚に満ちていた。



ようやく足を踏み入れると、巨大な切り絵が光を透かして現れる。白と影が絡み合い、山々と森と人々の暮らしが、絵本の中から抜け出したように浮かび上がる。
よく見ると、細かな隠し絵が紛れており、目を凝らすたびに新しい発見がある。子どもの頃に迷い込んだ秘密基地のような感覚が胸に広がっていく。


奥へ進むと、まるで空気そのものが泡立つように、シャボン玉が次々と生まれる空間が待っていた。虹色の膜がゆらめき、夢洲の光を反射して、ふわりふわりと宙を漂う。手を伸ばしても届かないそれは、スイスの透明な湖面や、雪解けの水がきらめく谷間を思わせる。




最後に現れたのは、ハイジ。カルピス劇場のアニメを“本物”だと信じて疑わなかった子どもの頃の記憶が、不意に揺れる。スクリーンには最初期のハイジや異なる解釈の物語が紹介され、懐かしさと少しの戸惑いが胸に入り混じる。

だが、スイス・パビリオンを出る頃には、その微妙な感情さえ旅の一部になっていた。
切り絵の森、虹色の泡、揺れるハイジの物語――
未来の万博の中で、遠いアルプスを夢見た心は、子どもに戻ったように軽やかに弾んでいた。