• 万博閉幕から

tokyo1970万博体験記 ㉖スシロー

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NTTパビリオンへ向かって歩を進めていたはずが、気がつけば私は万博の磁場に呑まれ、さながら羅針盤を持たぬ旅人のように、ゆらゆらと進路を逸らされていた。万博とは、予定調和を裏切る魔界である。そこにはありとあらゆる未来が詰め込まれ、ひとの常識と方向感覚をいとも容易く粉砕するのだ。
そんななか、ふと目の端に「スシロー万博未来店」。

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スシローといえば言わずと知れた回転寿司界の巨塔である。だが、ここは未来の万博である。そこに寿司屋が出店しているという事実そのものが既に矛盾であり、禅問答のような奥深さをたたえている。寿司でありながら未来、未来でありながら寿司。すでにこの時点で、脳の奥の方がふつふつと沸騰し始めていた。

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店の入口では、凛としたスタッフが何かを話しかけながら来訪者に整理券を手渡していた。私は迷わず列に並び、慎ましく整理券を拝受した。番号は577番。すぐに入れるわけではないが、むしろありがたい。万博では「今すぐ食べられる」などということのほうが胡乱なのだ。

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そして夕刻。そろそろ頃合いとスシローへ戻ると、そこには「スイーツだけでもスシロー」という刺激的なコピーも掲げた過去のある概念破壊者スシローの未来提言は何なのか?
入店してみると、そこはもう寿司屋というより「スシロー・エンターテインメント・パーク」であった。空間演出、注文システム、ゲームのような参加型演出、スタッフの細やかな気配り、さらには「万博限定」の寿司、果ては限定グッズまで売られている。私は思わず、ここが本当にスシローなのか、何かの壮大なトリックではないのかと疑ってしまった。

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だが、口に入れた寿司はまぎれもなくスシローのものであった。ただし、それはかつて知っていたスシローではない。未来に進化したスシロー、あるいは寿司の姿を借りた異次元のアミューズメント施設。そう、ここはもはや「寿司屋の皮を被ったパビリオン」ではない。「スシローそのものがパビリオン」なのである。

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帰り道、私は満腹と感嘆を胸に、再び万博の夜の迷宮へと足を踏み出した。ひとはいつから寿司を食べるだけでこれほど哲学的になれるようになったのか。ただ言えることは一つ、あのスシロー万博未来店に行かずして、「寿司の未来」を語ってはならぬ、ということである。

投稿日:2025年7月24日

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