
長いあいだ、「オペラ座の怪人」は半面の仮面だけで私の頭に住みついていた。内容をよく知らないまま、その名と姿だけが三十年近く静かに響き続けていたのである。ニューヨークを訪れたときにも上演されていたが、英語と劇場へのためらいから遠巻きに眺めて終わった。仮面との距離は、なかなか縮まらなかった。
その距離をようやく埋めるため、四季劇場[秋]へ向かった。動機は、いわば舞台版のジャケ買いである。半分だけ顔を隠した人物に、こちらは何十年も気持ちを引かれている。考えてみれば、ずいぶん気の長いジャケットだ。
劇場の扉をくぐると、日常から少し離れたところへ足を置いた感覚があった。舞台の約束事をよく知らない身には、目の前で起きることを一つずつ受け取るだけで精いっぱいだ。それでも物語は、理解の順番など待たずに先へ進んでいく。その運ばれ方が、かえって心地よかった。
なかでも目を奪われたのは、上方からゆっくりと降りてくるゴンドラだった。速さではなく、あの「ゆっくり」に引っかかった。見えているのに、どこから現実でどこから夢なのか、その境目が少しずつ曖昧になっていく。降りてくる物体を眺めているだけなのに、こちらの意識まで舞台の奥へ運ばれてしまう。ゴンドラは下へ向かっているはずなのに、物語の奥行きだけが上へ上へと立ち上がっていくようだった。
そしてテーマ曲が響く。長いあいだ胸の中に置かれていた音が、舞台の光景とようやく結びついた。名前、仮面、音楽。それぞれ別々に抱えていたものが、その瞬間にひとつの場所へ集まったのである。三十年近い遠回りも、あの一音へたどり着くための長い通路だったように思えてきた。
憧れていたものに触れるとき、あらかじめ隅々まで理解しておく必要はないらしい。知らないまま劇場へ入り、目の前に降りてきたゴンドラを見上げ、耳に届いた音に身を任せる。それだけで、仮面の向こう側にあった世界は、遠い題名ではなく自分の記憶になった。
