長いあいだ、「オペラ座の怪人」は半面の仮面だけで私の頭に住みついていた。内容をよく知らないまま、名前と姿だけが30年近く静かに響いていたのである。
ニューヨークを訪れたときにも上演されていたが、英語と劇場へのためらいがあり、遠巻きに眺めて終わった。気にはなる。だが入らない。仮面との距離は、そう簡単には縮まらなかった。
その距離をようやく埋めるため、2021年12月1日、四季劇場[秋]へ向かった。動機は、いわば舞台版のジャケ買いである。半分だけ顔を隠した人物に何十年も気持ちを引かれているのだから、ずいぶん気の長いジャケットだ。
記録を見返すと、四季劇場[秋]の角括弧にも妙に目が止まる。「秋」ではなく、きちんと[秋]。怪人の仮面を観に行ったはずなのに括弧まで気になるのだから、こちらも見る場所が少し偏っている。
劇場の扉をくぐると、日常から少し離れたところへ足を置いた感覚があった。舞台の約束事をよく知らない私には、目の前で起きることを一つずつ受け取るだけで精いっぱいだったが、物語はこちらの理解の順番など待たずに進んでいく。その運ばれ方が、かえって心地よかった。
なかでも目を奪われたのは、上方からゆっくりと降りてくるゴンドラだった。速さではない。あの「ゆっくり」に引っかかった。
見えているのに、どこからが現実で、どこからが夢なのか、その境目が少しずつ曖昧になる。ゴンドラが降りてくるのを眺めているだけなのに、こちらの意識まで舞台の奥へ運ばれてしまう。下へ向かっているはずの物体に、ずいぶん奥まで連れていかれたものだ。
そしてテーマ曲が響いた。長いあいだ胸の中に置かれていた音が、舞台の光景とようやく結びついた。名前、仮面、音楽と、別々に抱えていたものが、その場でひとつに集まったのである。
30年近く遠巻きにしていたわりに、劇場へ入ってからの私は、降りてくるゴンドラを見上げ、耳に届く音を受け取るだけだった。隅々まで理解してから来る必要などなかったらしい。先に気づけという話だが、何十年も気になっていた半面の仮面は、この日ようやく遠い題名ではなくなった。