
夢洲の空に翻った万博の旗は、閉幕とともに降ろされたが、その余韻は思いがけない場所で脈打ち続けている。
大阪・関西万博でウクライナ政府代表を務めたテティアナ・ベレジュナの人生にも、その熱は深く染み込んだ。戦時下という緊張のなか、開幕直前に決まった参加、限られた時間で整えられた展示、共同館の一角に集まった人々の視線。
そのすべてを背負いながら彼女は大阪を往復し、未来を語り続けた。その道程には、まだ見ぬ命も寄り添っていた。母の体内で万博の季節を共に過ごした娘に、「Osaka」という名が与えられたのは偶然ではない。都市の名は記号ではなく、創造と連帯、希望の記憶として刻まれる。万博は終わっても、ひとつの名前となり、遠い国の明日へ静かに歩き出している。
万博でウクライナ政府代表だった女性、昨年末出産の娘に「Osaka」と命名…「大阪再訪が私たちの大きな夢」
1/19(月) 15:00配信 読売新聞オンライン大阪・関西万博のウクライナの万博政府代表を務めたテティアナ・ベレジュナさん(37)が昨年12月23日に女児を出産し、「Osaka」と命名した。閉幕後、ゼレンスキー政権の副首相兼文化相に就任したベレジュナさんは本紙へのメールで、万博の経験がオーサカと名付ける理由になったと明らかにした。
ロシアの侵略を受けるウクライナが万博参加を決めたのは開幕5か月前の2024年11月。経済副大臣だったベレジュナさんが万博担当となり、戦時下の暮らしを紹介する動画を中心とした展示を短期間で準備した。共同館「コモンズC」の一角に設けられたブースは話題を集め、半年で約300万人が来場した。
ベレジュナさんはメールで、「万博に全力を注いだ25年は創造と濃密な仕事、刺激に満ちた1年だった」と振り返り、この年の3回の訪日のうち2回は妊娠中だったと説明した。「(おなかの)娘が道中ずっと一緒にいると感じ、このつながりが格別に意味深いものとなった」とし、「娘が私を鼓舞し、この重要なプロジェクトの成功に貢献してくれた」という気持ちが命名の動機になったとつづった。