• 万博閉幕から

“パビリオンのゆくえ”関連の話題

“パビリオンのゆくえ”関連の話題

万博が終わる。夢洲の空に立ちのぼっていたあのきらびやかな幻影が、ひとつ、またひとつ、静かに姿を消していく。だが、すべてが消え去るわけではない。半年間、世界の希望を映してきた「万博の華」――パビリオンたちは、解体と再生の狭間で、次の居場所を探している。

日本国際博覧会協会は、「持続可能な万博」という理念のもと、全84館のうち少なくとも17.5館を再利用するという壮大な目標を掲げている。完全な移築を“1館”、一部の再活用を“0.5館”として数えるという几帳面さが、どこか万博らしい。

前回1970年の大阪万博でも、28館が各地に散り、それぞれの地で第二の人生を歩んだ。カンボジア館は神戸の自治会館へ、サンヨー館は遠くカナダの大学施設へ――その魂は今も静かに生きている。

今回もまた、物語は続く。たとえば「三菱未来館」は、巨大な木の骨組みをそのまま横浜で開催される国際園芸博へと移し、新たな命を吹き込まれる予定だという。夢洲の空を支えた木材が、やがて花と緑に囲まれた庭園の中で蘇る――そう思うと、不思議に胸が熱くなる。

それでも、多くのパビリオンの運命はいまだ定まっていない。閉幕のわずか一週間後には撤去作業が始まり、2028年2月までに会場は更地となって大阪市へ返される。まるで蜃気楼のように現れては消える、壮大な仮設都市。

けれど、万博の建物たちは単なる構造物ではない。そこには国と人と夢の交差点があり、半年のあいだに無数の物語が生まれた。その欠片がどこかの街角に移り、再び人々の目を楽しませる日が来るなら――それこそが、本当の「未来の継承」なのかもしれない。

万博、パビリオンを「遺産」に 移転・活用、2割目指す
10/6(月) 15:21配信 共同通信

 大阪・関西万博は6日、閉幕まで1週間となった。「持続可能な万博」を掲げる日本国際博覧会協会は、パビリオンの2割程度の移転・一部活用を目指している。趣向を凝らした外観で来場者を楽しませた「万博の華」をレガシー(遺産)として後世に引き継ぐ狙い。閉幕後に受け入れ先を募る建物もあり、どこまで再利用が広がるか注目が集まっている。
 協会によると、1970年大阪万博では施設の一部を含め28館が再利用された。今回は参加国や企業などが出展した全84館のうち、移転を1館、一部活用を0.5館と数え、17.5館以上の再利用を目標に掲げている。
(万博、パビリオンを「遺産」に 移転・活用、2割目指す(共同通信) – Yahoo!ニュース)

半年限りの「万博の華」パビリオン 大半が再利用決まらず 記憶継承へ早期計画が急務
10/3(金) 19:01配信 産経新聞

閉幕まで10日となった大阪・関西万博で、「万博の華」として会場を彩ったパビリオンの再利用が注目されている。持続可能な運営を掲げる日本国際博覧会協会は、全体の2割に相当する「17.5館」以上の移築を目指すが、現時点で大半が決定に至っていない。会場の施設は閉幕直後から解体が始まるため、用途を早期に決める必要がある。
三菱グループは9月25日、会場の「三菱未来館」について骨組みの木材を2027年に横浜市で開かれる国際園芸博覧会(園芸博)で再利用すると発表し、オブジェの試作品を公開した。
70年万博のパビリオンのうち、カンボジア館は神戸市北区の自治会館として、当時の三洋電機グループが出展したサンヨー館はカナダのブリティッシュ・コロンビア大の施設として活用され、現在も6館が残っているとされている。
今回は13日の閉幕直後から解体が始まり、2027年3月末までに撤去しなくてはならない。譲渡先は出展国や企業が探している。協会が開設している出展者と引受先のマッチングサイト「ミャク市!」でも、放送作家の小山薫堂氏が手がけた、かやぶき屋根のシグネチャーパビリオン「EARTH MART(アースマート)」などが入札にかけられた。
(半年限りの「万博の華」パビリオン 大半が再利用決まらず 記憶継承へ早期計画が急務(産経新聞) – Yahoo!ニュース)

万博の閉幕で パビリオンはどうなる?
2025年10月10日午後8時16分

思い出を振り返る人も多いかもしれませんが、閉幕後、パビリオンがどうなるのか、気になっている人も多いかも知れません。
「残される施設はある? それとも全部なくなる?」
万博の取材を担当する竹内宗昭 記者に聞きました。
Q. パビリオンはどうなりますか?
万博の会場は、大阪市の土地なので、およそ2年半後の2028年2月までには、基本的にはすべてを更地にして返却する必要があります。
早ければ閉幕1週間後の10月20日には展示物の運び出しや解体が始まります。
一方で博覧会協会は「持続可能な運営」を掲げてきたので、すべてを解体して捨てるのではなく 「できるかぎり再利用を推進したい」としていて、目標として「17.5施設の再利用」を掲げています。
また「大阪ヘルスケアパビリオン」は移設はせず、一部をその場に残す計画です。

実は、神戸市には1970年の大阪万博の「カンボジア館」が移設されて今も使われています。
万博の翌年に民間の住宅会社が引き取り、周辺の住宅地を「パビリオンのある街」として販売しました。
その後、1992年には自治会が建物を譲り受け今も残っています。
建物には、当時展示されていたアンコールワットの説明ボードやレリーフ、仏像などのレプリカが大切に飾られています。
この地区は広陵地区という名前なので「広陵パビリオン」と呼ばれていて、地域の人が太極拳や卓球などで活用するなど今も愛されています。
住民は「パビリオンは地域の誇り、シンボルです。建物は潰してしまうと二度と戻らないので、何とか50年、100年残していきたい」と話していました。
ただ、コストはかかりました。
年々屋根が傷み、8年前には積立金や市の補助金を活用して約2700万円をかけて瓦のふき替えや修繕を行ったそうです。
(大阪・関西万博の閉幕でパビリオンどうなる?撤去それともレガシー? | NHKニュース | 大阪・関西万博、大阪府)

投稿日:2025年10月16日

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