
万博の最終夜、夢洲の空には湿り気を帯びた風が吹き、遠く大阪湾の水面が月の光を返していた。
午後10時の閉場アナウンスなど、誰も本気で気にしてはいなかった。あの大屋根リングの下、まだ光は消えず、あちこちのパビリオンが小さな太陽のように輝いていた。ブラジル館の重低音は、まるで砂漠に響く太鼓のように夜気を震わせ、イタリア館の広場ではDJブースが設けられ、ワインの香りが潮風に溶けていった。踊り疲れた人々が笑いながら抱き合い、音楽はいつまでも終わる気配を見せなかった。
カナダ館では、セリーヌ・ディオンの歌声が夜を突き抜けていた。あの旋律を最後の一節まで歌い切る来場者の姿に、誰もが少し胸を熱くしていた。歌いながら、誰もがこの半年の記憶をたぐっていたのだ。スイス館のハイジカフェでは、スタッフが「ありがとう」と手を振り、展望デッキの灯が星座のように瞬いていた。砂漠の国カタールから雪の国スイスまで、この夜ばかりは国境も言葉も溶け合って、夢洲という名の小さな地球ができあがっていた。
マルタ館やチェコ館では、DJが夜空に挑むように音を放ち、セルビア館ではパブが生きた心臓のように脈打っていた。スペインもドイツも、どの国も最後の力を振り絞るように音楽を鳴らし、人々を誘っていた。誰もが帰りたくなかった。
それでも時間は無慈悲に進み、午前0時を過ぎるころ、警備員が「終電がなくなります」と静かに告げた。けれど誰も動かない。大屋根の下では、風がゆっくりと流れ、誰かがポルトガル館のDJに拍手を送っていた。音楽も歓声も、もう終わりではなかった。そこにいたすべての人が、夜と共にひとつの物語を生きていた。半年の夢が、静かに、しかし確かに夜の海へと溶けていった。
万博閉幕 午後10時で閉場したのに日付変わっても大盛り上がり イタリア館は屋外でDJパーティー
10/14(火) 8:46配信 スポーツ報知大阪・関西万博が13日、閉幕した。会場は午後10時に閉場がアナウンスされたが、一部のパビリオンは夜を通しての“後夜祭”を開催。14日未明になってもブラジル館は館内で、イタリア館は屋外広場で、それぞれクラブパーティーで盛り上がっていた。
大阪メトロ夢洲駅の終電は深夜0時20分。その時間を過ぎても、夜更けの人工島に重低音が響いた。若い男女が集うのは同じだが、ブラジル館は外国人中心、イタリア館は日本中心という客層。チェコ館など多くの海外パビリオンでパーティーが開催され、シグネチャーパビリオンの「いのちの遊び場クラゲ館」でも飲食物を持ち込んだ人々でにぎわっていた。
イタリア館は屋外広場でDJブースを設置。日本人とイタリア人のDJによるパフォーマンスで大盛り上がりだった。ワイングラスを片手に跳びはねるように踊っていた日本人男性は「あした仕事なんですけど、せっかくなんで朝まで遊びま~す」と声を張り上げていた。
一方、午後10時を過ぎると略帽をかぶった私服警官が場内を巡回し、屋外で酒盛りをする入場客らに退場を促していた。
(万博閉幕 午後10時で閉場したのに日付変わっても大盛り上がり イタリア館は屋外でDJパーティー(スポーツ報知) – Yahoo!ニュース)
万博閉幕後のパビリオンでパーティー 音楽流れ、飲み物片手にダンス
10/13(月) 23:24配信 朝日新聞閉幕した会場では、いくつかの海外パビリオンで、スタッフらが音楽を流してパーティーを開いていた。
ブラジル館では大音量で音楽が鳴り響き、盛り上がりを見せていた。他のパビリオンのスタッフらも含めた関係者らが集まり、飲み物片手に踊っていた。
スペイン館でも大音量で音楽が流れ、パビリオンの大きな階段の上で思い思いに座り、くつろいでいた。
タイ館は舞台に何人かが上がり、集まった来場者に「一緒に写真を撮りましょう」などと呼び掛けていた。
来場者は立ち止まり、なかなか退場する気配がない。大屋根リング下では警備員たちが「閉場時間を大幅に過ぎています。早めのご移動をお願いします」と呼びかけていた。
(万博閉幕後のパビリオンでパーティー 音楽流れ、飲み物片手にダンス(朝日新聞) – Yahoo!ニュース)
閉幕後も鳴りやまぬ音楽 大阪万博、各国パビリオンで惜別パーティ
10/15(水) 8:10配信 週刊大阪日日新聞カナダパビリオン
名残惜しそうに静かに幕を閉じたかと思えば、会場には来場者があふれ、会場内の複数のパビリオンから大音量でノリノリの音楽が聴こえてくる状況に。
大屋根リングを時計回りに回ってみると、まずカナダパビリオンからセリーヌ・ディオンのHeart will go onの大合唱が聴こえてきた。
ここでは来場者も巻き込み、カラオケ大会が行われていたようで、その最後の最後にこの曲を歌っている場面に遭遇したようだった。ハイジカフェ
ここではパーティーのようなものは行われていなかったが、音符の形をしたパビリオンの展望デッキ部分にスタッフが何人かいて、前を通る来場者に「ありがとう」「THANK YOU」と声をかけていた。また「万博は楽しかったか?」と尋ねると、あちこちから「YES」という声が聞こえ、皆が万博を楽しんだことが伝わり、そこにいる人全員が幸せな時間を共有していた。
「一期一会」という言葉は海外パビリオンでよく使われていた日本語だが、ここでもその言葉が一役買っていたようだ。
マルタパビリオンでは、スタッフたちがパビリオン前のスペースで、かなり楽しそうにダンスをしながら盛り上がっていた。
お隣のチェコパビリオンでは、パビリオン前にDJがテーブルを置き、数百人はいるだろう観客に向けてクラブミュージックを流していて、午後10時をすでに過ぎていても、止める気配は全くなかった。ちなみにチェコパビリオンのDJは午後7時半頃にはすでにそこにいて観客を盛り上げていた。イタリアの盛り上がりを確認した後、移動していくと、すぐ近くのセルビアパビリオンでも人が集まっていて、併設のレストランパブがパーティー会場に変身していた。
スペインから少し進むと、ドイツパビリオンでも音楽が鳴り響いていた。
夕方にパビリオンを閉めて、セレモニーも行っていたドイツも、夜になるとパーティータイムに突入したようだった。
パビリオン敷地内のあちこちで人が集まって盛り上がっているのが見られた。この段階で午後11時前になっていて、今見てきたパビリオンにいた人たちが13日中に帰宅するのは難しいといえる状況だった。また、大屋根リングの下のベンチでくつろいでいるのか、最後の瞬間に浸っているのか、座ってのんびりしている人たちもかなり残っていた。
会場を大きく一回りした結果、海外パビリオンでは上記のパビリオンがパーティー状態。ほかにも外からは見えなかったが館内から音楽がズドン、ズドンと聞こえるルーマニアパビリオンなどもあった。コモンズ館の中でもスタッフらが交流している姿がガラス越しに見ることができた。
それに比べて日本のパビリオンは静かなもの。クラゲ館を除いて午後10時以降にはきっちり終了していた。時間通りに業務を終了させられる技術と能力は素晴らしいもので、褒められることだろう。それでも、海外パビリオンの楽しみ方は学ぶべきことの一つとして、検討してみるのも良いのではないだろうか。
(閉幕後も鳴りやまぬ音楽 大阪万博、各国パビリオンで惜別パーティ(週刊大阪日日新聞) – Yahoo!ニュース)
【万博最後の夜】「帰りたくない」別れを惜しむ来場者とスタッフ 感動・涙・笑顔あふれた184日間
10/14(火) 18:59配信 読売テレビ半年間続いた大阪・関西万博ですが、13日惜しまれつつも幕を閉じました。閉幕の瞬間、そして閉幕したあとにも、数々のドラマがありました。
警備員
「閉館時間まで残り21分と42秒です。どんどんお進みください。きょうという日は、閉幕でございますからね」
刻々と終わりのときが近づく中、出口に向かい始める来場者を軽快な音楽で送り出していたのはポルトガルパビリオンです。閉幕日の13日、特別に昼間からDJが駆け付け、パビリオン周辺は常に大にぎわい!そんな中、ひとり踊りながら涙を見せるこちらの男性…ポルトガルパビリオンのショップマネージャーを務めるミゲル・ラザロさんです。
同じく、ベルギーパビリオンでもパーティが…。こちらではスタッフだけでなく来場者も一緒にダンス。
さらに、“餅投げ”ならぬ、“ベルギーワッフル投げ”で大判振る舞いも!スタッフも来場者も入り混じり、なかなか終わらない、最後の夜。
警備員
「閉館時間過ぎています。移動してください!」
警備員
「皆さんの終電も私の終電もなくなります。」
(【万博最後の夜】「帰りたくない」別れを惜しむ来場者とスタッフ 感動・涙・笑顔あふれた184日間(読売テレビ) – Yahoo!ニュース)
「私の終電もなくなる」「せめて帰る素振りを」 万博警備員、悲痛な要請 居残る来場者に
10/14(火) 0:15配信 産経新聞大阪・関西万博は184日間の会期を終え、13日午後10時をもって閉幕した。だが、会場内には閉場時間を過ぎても多くの来場者が残っており、退場を促す警備員が「せめて駅に向かう素振りをみせてください」と呼びかけていた。
来場者の大半が利用する大阪メトロ夢洲(ゆめしま)駅の目の前にある東ゲート付近では、午後11時を過ぎても会場内に来場者がとどまっている。
夢洲駅発の最終電車の時刻が迫っており、警備員は「私の終電もなくなります」と悲痛な協力要請をしていた。
(「私の終電もなくなる」「せめて帰る素振りを」 万博警備員、悲痛な要請 居残る来場者に(産経新聞) – Yahoo!ニュース)