
会期125日目の8月15日。大阪の陽射しは白く燃え、気温は35.6℃に達した。それでも夢洲には人の流れが止まらない。この日の一般来場者は約15万9000人、関係者を含めた総数は約17万7000人。猛暑の渦中で、この数字だけが妙に涼しい顔をして並んでいる*1。
場内の体感温度を一段と押し上げたのは、インドのナショナルデー。民族衣装の色と布の面積は、気温に比例して軽くなるものとばかり思っていたが、この日は逆だった。刺繍もビーズも太鼓も笛も、すべてをまとってパレードは進む。午後4時半からの公式式典では、大阪府知事やジョージ駐日大使らが見守る中、舞踊と音楽が舞台を満たした*2。
大使は「1日平均2万人がインドパビリオンを訪れている」と述べ、インドと日本の「特別で戦略的な国際パートナーシップ」を言葉にした。数字は乾いているのに、言葉は不思議と湿り気を帯びる。先週には累計来場者が200万人を突破したという報せも添えられ、このパビリオンの「満員」の日常が、どれだけの熱と待機列でできているのかを想像させる*2*1。
同じ会場の奥では、温度の違う時間が流れていた。ペルーパビリオンに現れたのは、約2000年前のナスカ文化に連なる9点の文化財。乾いた大地に描かれた地上絵と呼応するように、土器の面にはハチドリや花、そして雨を象徴するクモが描かれている。水が貴重だった土地の器は、実用品でありながら、雲を呼ぶ呪文のようでもある。7点は水を入れる器で占められ、儀式の楽器も並ぶという展示は、灼熱の午後に奇妙なオアシスをつくっていた*3。
日が傾くころ、EXPOアリーナ「Matsuri」では、いきものがかりと大塚 愛の声が夜気に放たれた。昼の喧噪で熱せられた鼓膜に、透明な歌はよく冷えた水のように届く。パレードのビート、古代の器の静けさ、そしてポップスのメロディー。異なる拍が、見えないところで同じテンポを取っていく。
数字にも触れておこう。熱中症の疑いで救急搬送された人は2人。場外への救急搬送は6件で、そのうち2件が熱中症(疑い含む)だったという報告がある*1*4。この「2」という値は、猛暑日の手強さを過小評価させる危うさもある。翌16日も35℃の猛暑日予想と伝えられたが、カレンダーは温度を記録しても、行列の長さや水筒の残量までは記さない*1。
それにしても、同じ日に「独立」を祝う演説と、雨を待つ器が並んだことが、この万博らしい。国家の記念日と、砂漠の祈りと、J-POPのサビ。接点のなさそうな三者が、真夏の夢洲で奇妙に同居する。暑さは相変わらず苛烈だが、熱の使い道がここではいくつもある。パレードを押す熱、展示に息を止めさせる熱、そして夜、拍手で応える熱。会場全体が鼓動する一日だったからこそ、数字は最後にそっと脇へ置きたくなる。
125日目の夢洲で確かだったのは、暑さの記録ではなく、熱の配分の巧みさだ。人が集まる場所は、なぜか温度の単位よりも物語の単位で語ったほうが伝わる。35.6℃よりも、パレードの歩幅、土器の口縁、コーラスのハモり。そういうスケールで見直すと、この日の万博は一段と鮮やかだった。