バルセロナ時代のグアルディオラ監督と選手のイブラヒモヴィッチ
その時の対立をいまだにいうイブラヒモヴィッチの代理人
パリでがんがんやっているのだからもういいだろうと思うが
もしリベンジしたいならパリ・サンジェルマンをバイエルンと対決できる土俵に引っ張ってこい
バイエルン・ミュンヘン vs パリ・サンジェルマン
普通に見てもすごいカードだがこのイブラのリベンジのチカラがあればもっと面白い
「イブラは何も後悔していないと思う。ズラタンはバルサを離れたときにマドリーでのプレーを望んだ。理想的な移籍となっていたはずだ。(ジョゼップ・)グアルディオラに対する完璧なリベンジになっていたはずだよ」そのグアルディオラ監督とのことについて、ライオラ代理人は指揮官に再び厳しいコメントを残している。「イブラとバルサにあったことは、“哲学者”(グアルディオラ監督)だけが知っている。人としての彼の振る舞いは最悪だ。監督としては素晴らしい。彼はズラタンを欲しがった。10回も連絡したんだ。バルサに必要で、助けると言っていた。そして突然、彼と話すのをやめたんだよ」それはFWリオネル・メッシと関係があるのだろうか?「それは分からない。だが、一つ覚えている。チキ・ベギリスタイン(当時のバルサのフットボールディレクター)から11月に連絡があった。話したいと言われてね。『メッシが怒っている。彼は満足していない。ゴールを量産していないんだ。ズラタンが彼を助けなければいけない』と言われた。イブラは同意したよ」「1カ月後、チキは私に、グアルディオラがシステムを変えると言ってきた。私は『問題ない』と言った。それからチキは、問題があると言ってきた。『メッシが怒っており、グアルディオラに泣きついている。グアルディオラは2人のストライカーを使わない』とね。ペップはそれから二度とズラタンと話さなかった」「ズラタンはとてもプロフェッショナルだった。そして、マドリーへの移籍を望んだんだ。だが、マドリーには男気がなく、明確なプランもなかった」(Goal)
代理人としてのキャリアの中で、「彼より重要な選手はパヴェル・ネドヴェドしかいない」とイブラヒモヴィッチを位置づけたライオラ氏は、「彼はバルセロナを去ってからレアル・マドリードへ移籍したがっていた。ジョゼップ・グアルディオラ監督に完全な復讐をしたがっていた」と、同選手の希望があったことを明かした。クラブと選手の間に、復讐をするほどの何が起こっていたのかと問われた同氏だが、それは「グアルディオラ監督だけが知っている」と濁した。しかし、アルゼンチン代表FWリオネル・メッシとの間に何か問題があったのではないかという“追撃”に対しては、以下のコメントをしている。「それは知らないけれど、これだけは覚えている。(当時バルセロナのテクニカル・ディレクターを務めた)チキ・ベギリスタイン氏が11月に私を呼び出して、『メッシがもっと得点を決めたがっている。ズラタンはそれを手伝う必要がある』と言ってきた。スラタンはそれに同意したよ」「その1カ月後にまたベギリスタインが私を呼んで『反抗的なズラタンの態度とシステムを監督が変えたがっている』と言ってきたが、それも構わないと答えた。しかしそのときベギリスタインは『メッシがグアルディオラ監督に前線でプレーしたいと泣きついたんだ。しかしグアルディオラ監督は、2トップのフォーメーションにするつもりはない』とも言っていた。それ以来、監督はズラタンと2度と言葉を交わすことがなくなり、けがをしていない時でも彼のポジションはなかった」(SOCCER KING)
ビッグクラブでプレーする選手を多くクライアントとして抱える大物代理人、ミーノ・ライオラ氏が、パリ・サンジェルマン(PSG)のスウェーデン代表FWズラタン・イブラヒモビッチの移籍にまつわるエピソードを、スペイン紙『マルカ』に語った。2009年にインテルからペップ・グアルディオラ監督(現バイエルン)が率いるバルセロナへと移籍したイブラヒモビッチ。当時の両者は不仲として知られており、イブラヒモビッチはグアルデオラを“卑怯者”呼ばわりするほど、2人の関係性は破綻していた。ライオラ氏は、「彼は絶対にグアルデオラを許さないだろう。ズラタンはバルサを去るとき、レアル・マドリーに移籍したがっていた。それが、ペップに対する完璧なリベンジになると思ったからだ」と明かした。しかし、「マドリーは政治的なクラブだ。彼らの物事の進め方が、私にはよくわからない。ズラタンは素晴らしい選手だから、マドリーにふさわしいはずだ。なぜ移籍が失敗したのかはわからないよ」と、マドリーへの移籍が成立しなかった経緯を説明した。(フットボールチャンネル)