“ヘリコプター”がやってくる - 楽しい楽しいバイエルン・ミュンヘン

公開日:2004/04/22
“ヘリコプター”がやってくる

アリ・ダエイに続き、FCバイエルン二人目のイラン人サッカープレーヤーが誕生しようとしている。現在ボーフムでプレーするヴァヒド・ハシェミアンがドイツレコードマイスターに移籍するための条件がほぼ全て揃った。両チームと選手本人が3年契約に合意し、ハシェミアンは2004年7月1日から2007年6月30日までの契約をFCバイエルンと交わすことになる。しかしまだ契約書にはまだサインがされていない。
「我々がハシェミアンを獲得するのには二つの理由がある」とウリ・ヘネスは“tz”紙に対して語った。「彼は特にヘディングが強く、ロイ・マカーイを含めて現在のチームには彼のような選手がいない。ハシェミアンはさらにハングリー精神にあふれた選手だ」と、バイエルンのマネージャーはストライカーについて語った。
<A HREF=”http://www.fcbayern.t-online.de/jp/club/archive/news/13486.php?fcb_sid=64bca5a0788cebed0dd539148e75d502″ TARGET=”_blank”>Official Site</A>



ヴァヒド・ハシェミアンはストリートサッカーからプロ選手に上り詰めた。ハシェミアンは1976年7月21日にイランの首都、テヘランで生まれた。子供の頃のハシェミアンはテヘランの路地でボールを追いかけ、テレビで見るヨーロッパのスター選手達のプレーを真似していた。ハシェミアンが始めてサッカークラブチームに入ったのは16歳のことだった。ストライカーの彼は警察のスポーツクラブチーム、Pas Club テヘランでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。

Pas Clubでプレーしていたハシェミアンの才能は一気に開花し、代表チームにも召集された。チームメート達とは違い、ハシェミアンはサッカー選手としてのキャリアをアラブ諸国のチームで続けるつもりはなかった。「もしヨーロッパのチームから誘いがあれば、それがどこのチームであろうと受け入れるつもりだった」とハシェミアンは語っている。

そしてハンブルガーSVから誘いを受けたハシェミアンは、1999年にテヘランからハンブルクに移籍した。しかし最初の数年間はハシェミアンにとって簡単なものではなかった。ハンブルガーSVに移籍後2シーズンで出場したのは12試合。2000/2001年シーズン、ハシェミアンはたったの一試合にしか出場せず、ピッチに立った時間も18分間だった。ボルシア・ドルトムント戦、52分に交代でピッチに入ったハシェミアンは、その実力を監督やチーム関係者に見せようと張り切った。しかしそのやる気が空回りしてしまい、70分にトーマス・ロジツキに対するファウルを犯して退場処分を受けたのだった。このゲームがHSVでの最後のプレーとなった。

ハンブルクで過ごした時間は、ハシェミアンにあまり良い思い出を残さなかったようだ。「ドイツに来た当時、プライベートな面だけではなく、ピッチの上でも新しい環境に順応しなければならなかった。それに少し時間がかかってしまった。さらにHSVではほとんど出場する機会を与えられず、自分の才能を発揮することが出来なかった。ちょっと悪いプレーをすると、すぐにメンバーから外された」。

ドバイや母国のクラブチームからの誘いがあったにも関わらず、ハシェミアンはドイツに留まることを決意したのだった。ハシェミアンはVfLボーフムに移籍する。2001年の夏に彼は二部リーグ所属のボーフムに移籍したのだった。2001/02シーズン、21試合に出場して8ゴールを挙げたハシェミアンは、VfLボーフムの一部昇格に貢献した。ペーター・ノイルーラー監督に認められた27歳のハシェミアンは、ドイツのブンデスリーガで一気にその才能を開花させたのだ。

ボーフムに移籍して2年目のシーズン、1メートル82の大型ストライカーのハシェミアンは34試合に出場し、10得点を記録した。特にヘディングの強さが彼の持ち味だ。「ヴァヒドのような選手は見たことがない。彼は空中高くに留まるだけではなく、まるでそこからさらに高く飛び上がるような印象を受ける」とノイルーラーは語った。

ブンデスリーガでのハシェミアンの最初の監督、フランク・パーゲルスドルフは彼に「ヘリコプター」というニックネームを与えた。そのニックネームでハシェミアンは今も呼ばれている。しかしハシェミアンの強みはヘディングだけではない。全14得点のうち、彼がヘディングで決めたゴールは6得点だけで、両足でプレーできるハシェミアンは左足で2点、右足で6点決めているのだ。

VfLボーフムは今シーズン、ヴァヒド・ハシェミアンのゴールで上位に進出したといっても過言ではない。降格争いをすると予想されていたチームが、現在リーグ7位につけているのだ。UEFAカップの出場権獲得も夢ではない。ハンブルクでは成功しなかった“ヘリコプター”が、ボーフムでその実力を証明してみせたのだ。訳せば“孤独な者”を意味すると言う“ヴァヒド”は今、セーベナー通りでその名前のようなサッカー人生を送るのではなく、ボーフムでの成功を持続したいと考えている。